諏訪御料人
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諏訪御料人(すわごりょうにん、享禄2年(1530年) - 弘治元年11月6日(1555年12月18日))は、武田晴信(信玄)の側室で武田勝頼の母。諏訪頼重と側室の小見(麻績)氏の娘(太方様)。諏訪御「寮」人とも表記される。異母弟には、頼重の後室の禰々の産んだ寅王(千代宮丸)がいる。実名が不詳で、史料上においては諏訪御料人(御寮人)・諏訪御前(いずれも貴人の女性を指す)と記されている。
- 1 諏訪御料人とは
- 2 諏訪御料人の概要
- 3 小説の影響
- 4 参考文献
諏訪御料人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)
晴信の側室で勝頼の母。武田家によって滅ぼされた諏訪家の姫。無口・無表情で晴信相手に口をきかず、常に晴信暗殺の機会を伺っている。山本勘介を頼りにしており、話すときは勘介を通訳にたてる。8巻で初めて晴信に直接口をきいた。
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