諏訪御料人とは? わかりやすく解説

諏訪御料人

作者永岡慶之助

収載図書乱世女たち
出版社しなのき書房
刊行年月2007.9
シリーズ名信州歴史時代小説傑作集


諏訪御料人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/04 03:09 UTC 版)

諏訪御料人(すわごりょうにん、享禄2年(1530年) - 弘治元年11月6日1555年12月18日))は、武田晴信(信玄)の側室で武田勝頼の母。諏訪頼重と側室の小見(麻績)氏の娘(太方様)。諏訪御「寮」人とも表記される。異母弟には、頼重の後室の禰々の産んだ寅王(千代宮丸)がいる。実名が不詳で、史料上においては諏訪御料人(御寮人)・諏訪御前(いずれも貴人の女性を指す)と記されている。


  1. ^ a b 平山(2014)、p.23
  2. ^ a b c d e f g 柴辻(2015)、p.476
  3. ^ 平山(2014)、p.24
  4. ^ a b c d e f 丸島(2015)、p.449
  5. ^ 新田次郎「あとがき」『武田信玄 林の巻』文藝春秋文春文庫〉、1974年10月25日、423頁。ISBN 4-16-711203-5 


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諏訪御料人

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 17:58 UTC 版)

殿といっしょ」の記事における「諏訪御料人」の解説

晴信の側室で勝頼の母武田家によって滅ぼされ諏訪家の姫。無口無表情で晴信相手に口をきかず、常に晴信暗殺機会伺っている。山本勘介頼りにしており、話すときは勘介通訳にたてる8巻初めて晴信に直接口をきいた。

※この「諏訪御料人」の解説は、「殿といっしょ」の解説の一部です。
「諏訪御料人」を含む「殿といっしょ」の記事については、「殿といっしょ」の概要を参照ください。

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