蓬萊社とは? わかりやすく解説

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蓬萊社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:32 UTC 版)

蓬萊社(ほうらいしゃ)は、1873年明治6年)2月(設立年月には異説あり)[† 1][3]征韓論を主張して敗れ下野した後藤象二郎を中心に士族たち、島田組鴻池組などの関西商人、上杉・蜂須賀などの旧大名らなど後藤象二郎の幅広い人脈によって設立された会社[1]。金融・為替業および高島炭鉱経営の他、海運業、洋紙製紙業、近代的機械精糖業、神岡鉱山経営などと幅広く業務を手がけたが、経営は不振で1876年(明治9年)8月 わずか3年半ほどの期間で倒産している[4]。後藤の経営は大隈重信の言葉によると「士族の商売」であり[5]、前時代的であり過ぎたが、資本の有限責任性や持分資本家と機能資本家の分離など時代の先を行く面もあり[6]、また洋紙製紙業、近代的機械精糖業は結果的には事業に失敗したとはいえ、それぞれ日本における嚆矢であり時代的意義は大きい[7]。後藤は蓬萊社の事業失敗で巨大な借金をかかえるが、その後も政界で活躍する。銀座汐留にかかっていた木橋は蓬萊社の資金で石橋に架け替えられたため蓬萊橋と名付けられ、現代に蓬萊橋交差点としてその社名を残している[8]


注釈

  1. ^ 国史大辞典第12巻p654では明治3年(1870年)となっている[1]。これは大町桂月による後藤象二郎伝記によると思われるが、鴻池家文書からは1872年(明治5年)以降である。ただし、蓬萊社の前身たる六海社などの活動は早くからあった[2]
  2. ^ 明治時代の1円の価値は換算する基準によって大きく異なるものの人件費を基準にすると現代の2万円程度、物価を基準にすると3800円程度と換算する向きもある[12]

出典

  1. ^ a b c 村上1991、654-655頁。
  2. ^ 宮本1975、278頁。
  3. ^ 宮本1975、267頁。
  4. ^ 宮本1970、100-106頁。
  5. ^ 小林2003、74頁。
  6. ^ 宮本1970、106-107頁。
  7. ^ 樋口1956、269頁。
  8. ^ 中央区今昔物語 第18回蓬莱社” (日本語). 東京都中央区. 2014年2月14日閲覧。
  9. ^ a b 宮本1975、269-272頁。
  10. ^ 佐々木1969、619頁。
  11. ^ 小林2003、75-77頁。
  12. ^ man@bou日本と世界のお金の歴史 雑学コラム 明治時代の「1円」の価値ってどれぐらい?” (日本語). 野村ホールディングス、日本経済新聞. 2014年1月3日閲覧。
  13. ^ 宮本1975、267-277頁。
  14. ^ 宮本1975、276-278頁。
  15. ^ 宮本1970、104頁。
  16. ^ a b c 宮本1970、101-102頁。
  17. ^ 宮本1970、102-103頁。
  18. ^ 小林2003、74-83頁。
  19. ^ a b 樋口1956、264-268頁。
  20. ^ a b c 糖業協会1962、164-174頁。
  21. ^ 成田1959、20-26頁。
  22. ^ a b 成田1959
  23. ^ 佐々木1969、618-630頁。
  24. ^ 宮本1970、94-100頁。


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