萱野家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/23 20:59 UTC 版)
古田織部の弟古田重府は、織部改易の折に難を逃れて豊前小倉の萱野伝左衛門に身を寄せた。萱野家の初代萱野正的は伝左衛門の姉の婿であり、「茶事に因縁ある」と記されていることから重府の子と見られている。古市家1世宗庵に師事して茶道役となり、茶道頭として200石を受けている。7世正房は維新の後に姓を古田に復して、以後門下の指導に当たっていたが、現在、古田家は指導を離れている。同門組織として松風会がある。 萱野家歴代世名生没年月日備考一 萱野正的 1620年-1707年1月15日 後に甚斎、隠斎と称す、古田重府の子か 二 萱野秀盈 1655年-1733年7月11日 正的の婿養子 三 萱野成商 不詳-1739年5月8日 秀盈の婿養子 四 萱野正勝 1719年-1780年6月22日 五 萱野正信 1749年-1820年7月22日 養子 六 萱野正名 1783年-1854年9月18日 七 古田正房 1815年-1904年1月10日 八 古田正寿 1851年-1886年5月21日 九 古田正雄 1876年-1960年2月27日
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