菅沼定盈
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菅沼 定盈(すがぬま さだみつ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。野田菅沼氏3代目当主。上野阿保藩主。
注釈
- ^ なお、従来は元亀2年における菅沼氏との合戦において、以下のような動向が説明されている。元亀2年初頭に信濃から南下し、菅沼本家の田峯菅沼氏を降らせた武田家臣の秋山虎繁に対し、さらなる南進を阻むべく三河設楽郡竹広において合戦に至った(竹広合戦)。定盈は西郷氏や亡父定村の妹婿となった設楽貞通らと防戦し、一時的に武田軍を退ける事に成功する。勝ちきれなかった秋山虎繁は、力押しの三河切り崩しから方針を転換する。秋山勢は田峯菅沼氏を通じて菅沼氏の各支族に降伏を促したが、定盈は降伏を拒否。そこへ虎繁に武田信豊率いる主力が加わった武田軍から標的にされると、同年4月28日(5月31日)、未だに大野田城を仮本拠としていた定盈一党は本格攻勢を受け、防戦も出来ずに退散させられた。そればかりか、吉田城まで攻囲、威圧する武田軍により、奥三河を蹂躙された。
出典
- ^ 菅沼氏(野田菅沼氏) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~
- ^ a b 三河・野田城はこんなところ 武田信玄と野田城の戦い - お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】
- ^ 野田城 - 武田家の史跡探訪
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