臨清閣
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/30 21:37 UTC 版)
臨清閣は、日本統治時代に前庭を横切る形で京慶線(現中央線)の線路が敷設され、敷地内にあった99軒のうち約30軒が撤去されている。これについて、抗日派への報復のためであるというのが定説となっており、2017年、文在寅大統領は、複線化に伴う線路移設と共に、 臨清閣の復元事業に着手することを明らかにした。 この説について、京慶線(1942年開通)を慶北線慶北安東駅(現安東駅、1931年開通)経由にするために避けられないコースであり、河川堤防と線路を一体化する防災目的でもあること、線路の敷設の際に臨清閣を含む周辺民家の保存に配慮したこと、時期的に独立運動は事実上瓦解していたことなどの観点から、抗日派への報復目的であるとの主張は被害妄想に過ぎないとの指摘もある。
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