肥後六花
(肥後山茶花 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/07 08:21 UTC 版)
肥後六花(ひごろっか[1])は、肥後椿(ひごつばき)、肥後芍薬(ひごしゃくやく)、肥後花菖蒲(ひごはなしょうぶ)、肥後朝顔(ひごあさがお)、肥後菊(ひごぎく)、肥後山茶花(ひごさざんか)の6種の花の総称[2]。
- ^ 『熊本県大百科事典』、686頁。
- ^ a b c d e f 『図説熊本県の歴史』、147頁。
- ^ 『色分け花図鑑 花菖蒲』、94頁。
- ^ a b 『東肥花譜』、3-4頁。
- ^ 『肥後六花』、5頁。
- ^ a b c d e f g 『肥後銘花集』、189頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『肥後六花』、21頁。
- ^ a b c d e f 『肥後銘花集』、186頁。
- ^ a b c d e f 『東肥花譜』、26頁。
- ^ a b c 『肥後学講座』、43頁。
- ^ a b c d e f g 『東肥花譜』、25頁。
- ^ 『肥後学講座』、44頁。
- ^ 『東肥花譜』、24頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 『肥後銘花集』、187頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『肥後六花』、39頁。
- ^ a b c d e f g h 『東肥花譜』、32頁。
- ^ a b c 『肥後学講座』、45頁。
- ^ 『東肥花譜』、30頁。
- ^ 『東肥花譜』、31-32頁。
- ^ 『東肥花譜』、33頁。
- ^ a b c d 『肥後六花』、55頁。
- ^ a b 『東肥花譜』、45頁。
- ^ a b c 『肥後六花』、57頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、54頁。
- ^ 『東肥花譜』、40頁。
- ^ 『肥後学講座』、48-49頁。
- ^ a b 『肥後六花』、56頁。
- ^ 『東肥花譜』、40-41頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、49頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、50頁。
- ^ 『東肥花譜』、43頁。
- ^ 『色分け花図鑑 花菖蒲』、13頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 『肥後六花』、71頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、47頁。
- ^ 『色分け花図鑑 朝顔』、84頁。
- ^ a b c 『肥後学講座』、46頁。
- ^ a b 『色分け花図鑑 朝顔』、90頁。
- ^ a b c 『肥後六花』、72頁。
- ^ a b c d e f g h 『東肥花譜』、57頁。
- ^ a b c d 『肥後学講座』、55頁。
- ^ a b c d e f g h i j 『肥後六花』、85頁。
- ^ 『東肥花譜』、57-58頁。
- ^ a b c d e f g 『肥後銘花集』、188頁。
- ^ 『肥後学講座』、56頁。
- ^ a b c d e 『肥後六花』、87頁。
- ^ 『肥後銘花集』、187-188頁。
- ^ a b c 『東肥花譜』、58頁。
- ^ a b 『肥後学講座』、57頁。
- ^ 『肥後銘花集』、121頁。
- ^ 『肥後銘花集』、119頁。
- ^ a b c d 『東肥花譜』、56頁。
- ^ 『東肥花譜』、59頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『肥後六花』、101頁。
- ^ a b c d e f 『東肥花譜』、66頁。
- ^ a b c d e 『肥後学講座』、48頁。
- ^ 『東肥花譜』、67頁。
肥後山茶花(ひごさざんか)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/07 08:21 UTC 版)
「肥後六花」の記事における「肥後山茶花(ひごさざんか)」の解説
「サザンカ」も参照 「一重大輪梅芯咲きが特徴」「一重大輪の純系種の育成が目的」とされるが、一重咲きと梅芯という形質自体はサザンカ本来の特徴であり、山に自生するものや他地域のものと同じである。ただし、それらの形質についても改良がなされており、一重だけでなく八重咲きもある。花径は5-15センチメートルにもなる大輪。花弁数は、一重咲きで5-10枚、八重咲きで30-50枚。花色は紅、紫紅、濃紅、淡紅、桃、紅ぼかし、白。花期は10月下旬から、遅いものでは翌年2月まで残る品種もある。最盛期は11月中旬。盆栽や生垣、庭木にする。 系統ははっきりしない。肥後六花の中では最後に生まれたもので、1879年(明治12年)に山崎貞嗣が代表的品種「大錦」を作出・命名したことに始まる。その後、山崎を盟主とする「晩香会」が結成され、彼らによって次々と新たな品種が生み出された。なお、晩香会の会員は満月会の会員でもあり、水前寺・江津湖周辺の住人がほとんどであった。肥後山茶花も長い間「門外不出」が守られてきたが、1967年(昭和42年)に肥後さざんか協会が結成され、一般にも開放されるようになった。保存団体は、肥後さざんか協会(熊本市役所農林課内、会員約50名)。 熊本城「肥後銘花園」の肥後山茶花 同左 同左
※この「肥後山茶花(ひごさざんか)」の解説は、「肥後六花」の解説の一部です。
「肥後山茶花(ひごさざんか)」を含む「肥後六花」の記事については、「肥後六花」の概要を参照ください。
- 肥後山茶花のページへのリンク