総選挙に大勝、再び首相へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 07:17 UTC 版)
「ウィリアム・グラッドストン」の記事における「総選挙に大勝、再び首相へ」の解説
一方ディズレーリ首相は、総選挙を引き延ばそうとしていたが、1880年2月のサザーク選挙区(英語版)の補欠選挙で自由党候補有利という前評判を覆して保守党候補が勝利したこと、また自由党内にグラッドストンの「ミッドロージアン・キャンペーン」を批判する動きがあったのを見て、同年3月に総選挙に踏み切った。 総選挙の結果、自由党が350議席、保守党が240議席、アイルランド国民党が60議席を獲得し、自由党が安定多数を獲得した。選挙結果を受けて、ディズレーリ内閣は総辞職した。この自由党の大勝は「ミットロージアン・キャンペーン」のおかげとされ、正式な自由党党首ではないもののグラッドストンが後任の首相になるべきものと一般には考えられていた。グラッドストン当人も首相に就任する気満々だった。 だがヴィクトリア女王は自分のお気に入りの首相ディズレーリを攻撃したグラッドストンに強い嫌悪感を抱いており、グラッドストンに大命を与えることを嫌がり。そのため名目上の自由党党首ハーティントン侯爵を首相にしようと画策したが、ハーティントン侯爵はグラッドストン首班以外の組閣は不可能として拝辞した。同時にハーティントン侯爵は女王の気持ちを察して、「どのみちグラッドストンは高齢ですから長く首相の座にある事はないでしょう」との見通しを伝えた。 女王もついに諦め、1880年4月23日にグラッドストンに組閣の大命を下し、第二次グラッドストン内閣が成立した。 [先頭へ戻る]
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