系譜伝承の差異
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/06/21 02:30 UTC 版)
児玉氏系図には、父は児玉遠岩であると記されているが、伝承に差異があり、名の継承の観点からすれば、有道惟能→惟行の方が信憑性はある(従って、遠岩なる人物は実在しなかった可能性が高い)。 異伝とされる伝承では、惟能は藤原伊周の家司として仕えていたが、後に武蔵介となり、児玉郡を開墾して移住した。その子息である惟行も武蔵守となり、父の故地である児玉に定住し、児玉(遠峰)氏を称したと言う。さらに別の文献では、治暦・延久年間(1065 - 74年)に有貫主惟行なる人物が武蔵守を離任後も児玉に定住し、児玉氏を名乗ったとある。没年についても諸説あり、8月8日に69歳で没したと言う伝えもある。藤原伊周(定信?)公の次男である藤原伊行と同一視する(有道伊行であるとする)伝えもあるが、いずれも後世に創作された伝承と考えられる(後述のその他の方を参照)。 惟行の嫡男、児玉弘行(児玉党本宗家2代目、通称は大夫)が後三年の役(1083年 - 1087年)に参戦していたと言う伝えからも、惟行は平安時代後期の人物と考えられる。また、浅見山(本庄で言う大久保山)丘陵の南西端、現在の児玉町下浅見地区に西光寺(児玉氏の菩提寺)を建立し、阿弥陀如来を安置したとされる(庄氏の菩提寺である宥荘寺と同様に14世紀中頃の薊山合戦にて焼失したとされる)。
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