粘罕とは? わかりやすく解説

粘没喝

(粘罕 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/01 14:24 UTC 版)

粘没喝(ネメガ、太康5年(1079年) - 天会15年7月21日1137年8月9日))は、宗室。軍人。別名は粘罕、あるいは烏家奴。漢名は宗翰。高宗劾者(ヘテェ)の孫で、撒改(サガイ)の長男。劾者は初代皇帝の太祖阿骨打(アクダ)の伯父であり、粘没喝(ネメガ)は阿骨打からは従甥にあたる。


注釈

  1. ^ この事件を、靖康の変という。『靖康稗史箋証』によれば、このとき、金軍によって連行された皇女・宮女たち、宋の貴人たちの女性の総数は数千人に及び、彼らは燕山で洗衣院に入れられて、売春を強要されたという。また、粘没喝自身も数十人の女性を得た、と記載されている。
  2. ^ 誣告したのは、太宗ウキマイの孫(虞王阿魯補(宗偉)の子)の烏帯(ウタイ)であった。ウタイは乙卒の財産と娘を奪ったが、海陵王の命を受けた妻の唐括定哥により毒殺された。

出典



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粘罕(ネメガ)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/24 23:41 UTC 版)

大水滸シリーズの登場人物」の記事における「粘罕(ネメガ)」の解説

楊令伝金国丞相漢名は宗翰。阿骨打従兄弟兀朮たちに対しても強い発言力有する。金の建国時から蔡福許貫忠と共に文官統率安定しない内情苦慮しつつ職務遂行する北宋崩壊後中原統治について、蔡福許貫忠らの入れ知恵より政敵である撻懶構想横取りする形で中原傀儡国家「斉」を建国し、金国主流派となる。だが撻懶の力を完全には奪えず、彼が力を増してゆく様を見て焦燥感を抱く。蔡福とは友人彼の死後には深い喪失感を抱く。金国建国行政面において多大な功績残したちなみに史実よりも若く描かれている。

※この「粘罕(ネメガ)」の解説は、「大水滸シリーズの登場人物」の解説の一部です。
「粘罕(ネメガ)」を含む「大水滸シリーズの登場人物」の記事については、「大水滸シリーズの登場人物」の概要を参照ください。

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