第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月とは? わかりやすく解説

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第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/28 22:12 UTC 版)

ポンポン (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月」の解説

1945年1月16日ポンポン7回目哨戒スペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) とともに黄海方面向かった1月28日ポンポン北緯3350東経12255分 / 北緯33.833度 東経122.917度 / 33.833; 122.917の小黒山島西方200キロ黄海洋上でヒ91船団発見しスペードフィッシュにもその旨通報した。しかし、通報受けたスペードフィッシュ海防艦久米特設運送艦讃岐丸日本郵船、9,246トン)を撃沈したのに対しポンポンは2隻の護衛艦阻止され攻撃チャンス逸した。翌1月29日朝、ポンポン潜航哨戒移ろうとしていた際に司令塔ハッチ故障するというハプニング見舞われた。13メートル深度達したとき、海水司令塔制御室入り込みその他の区画浸水大なり小なりダメージ受けたポンポン哨戒打ち切ってミッドウェー島向かったが、復旧ままならないうちに輸送船団護衛艦発見された。ポンポン浸水増大する危険があったが、やむを得ず潜航し護衛艦をやり過ごし浸水奇跡的に増大しなかった。ポンポン安否気遣われたため、ミッドウェー島向かっていたポーギー (USS Pogy, SS-266) がポンポン急遽会合しポンポンポーギー護衛を受けることとなった2月11日ポンポン34日間行動終えてミッドウェー島帰投ポンポン艦長ジョン・A・ボグレイ少佐アナポリス1938年組)に代わった。

※この「第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月」の解説は、「ポンポン (潜水艦)」の解説の一部です。
「第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月」を含む「ポンポン (潜水艦)」の記事については、「ポンポン (潜水艦)」の概要を参照ください。

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