第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月
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「ポンポン (潜水艦)」の記事における「第7の哨戒 1945年1月 - 1945年2月」の解説
1945年1月16日、ポンポンは7回目の哨戒でスペードフィッシュ (USS Spadefish, SS-411) とともに黄海方面に向かった。1月28日、ポンポンは北緯33度50分 東経122度55分 / 北緯33.833度 東経122.917度 / 33.833; 122.917の小黒山島西方200キロの黄海洋上でヒ91船団を発見し、スペードフィッシュにもその旨通報した。しかし、通報を受けたスペードフィッシュが海防艦久米と特設運送艦讃岐丸(日本郵船、9,246トン)を撃沈したのに対し、ポンポンは2隻の護衛艦に阻止されて攻撃のチャンスを逸した。翌1月29日朝、ポンポンは潜航哨戒に移ろうとしていた際に司令塔ハッチが故障するというハプニングに見舞われた。13メートルの深度に達したとき、海水が司令塔や制御室に入り込み、その他の区画も浸水で大なり小なりのダメージを受けた。ポンポンは哨戒を打ち切ってミッドウェー島に向かったが、復旧もままならないうちに輸送船団の護衛艦に発見された。ポンポンは浸水が増大する危険があったが、やむを得ず潜航して護衛艦をやり過ごし、浸水は奇跡的に増大しなかった。ポンポンの安否が気遣われたため、ミッドウェー島に向かっていたポーギー (USS Pogy, SS-266) がポンポンと急遽会合し、ポンポンはポーギーの護衛を受けることとなった。2月11日、ポンポンは34日間の行動を終えてミッドウェー島に帰投、ポンポンの艦長がジョン・A・ボグレイ少佐(アナポリス1938年組)に代わった。
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