第1回の模様とは? わかりやすく解説

第1回の模様

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 09:50 UTC 版)

福永洋一記念」の記事における「第1回の模様」の解説

第1回が行われるにあたりJRA調教師藤沢和雄から「何かの力になれるなら」と副賞記念品提供されるなど、洋一を知る競馬関係者からの働きかけ積極的に行われた。さらに第1回実施することが公式に発表された際、高知競馬場には洋一活躍を目にしていた世代にあたる50代60代ファンから問い合わせ相次いだ第1回平日開催で、天候小雨だったが、2010年当時では最多となる1263人が来場し、関心の高さを表した当日高知競馬場内では洋一をもてなす趣向として、高知競馬実況アナウンサー橋口浩二提案により、洋一好んだというペギー葉山の「南国土佐を後にして」が流された。 レース終了後表彰式では福永洋一本人プレゼンターとして車いす高知競馬場訪れ前述落馬事故ファンの前から姿を消した1979年以来31年ぶりに公の場へ姿を見せた洋一乗せた車いす表彰台登場すると、ファンからは「おかえり」待ってたぞ」などの声援飛び大きな拍手あたたかく迎えられた。待っていたファン対し洋一は「オーイ」と呼び掛けファン応えてみせる一幕もあった。 第1回福永洋一記念優勝騎手赤岡修次は、奇しくも洋一と同じ高知市潮江中学校卒業生という縁もあり、レース前そのこと伝え聞いた赤岡は優勝騎手インタビューで「今日久々にプレッシャー感じました。『このレースは、なんとしても獲らないと』という想いいっぱいだった」と語った表彰式終わりに、祐一ファンへ向け「父の名前を冠したレースを、父と最も縁の深い高知競馬でできたっていうことが、なにより嬉しいです。父も久々に高知に来ることができて喜んでいますし、さっき表彰台向かっているときに、たくさんの方々拍手迎えてくださったんで、よかったなと思いました」と語っていた。 第1回開催終えたのち、祐一は「親父引退して30年近くなるのに、たくさんの人が父のことを覚えてくれているのがうれしかった」と感謝し続けて「父を誇らしく思いました自分は豊さん(武豊)にあこがれて騎手になったつもりだったが、『俺の中のヒーロー親父だったんだ』と初め思った」と語り騎手としてルーツや父の偉大さ再確認した。さらに祐一は「父が健康であり続け限りレースが続く限り一緒に来たい」と続け次なる開催意欲高めた

※この「第1回の模様」の解説は、「福永洋一記念」の解説の一部です。
「第1回の模様」を含む「福永洋一記念」の記事については、「福永洋一記念」の概要を参照ください。

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