第一次長島侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/10/07 04:33 UTC 版)
元亀2年(1571年)、織田信長は長島一向一揆を殲滅するべく50,000人余りの大軍をもって長島に攻め寄せる。これに対し頼旦は中洲が多く大軍の利を生かしにくい長島の地形を生かした防戦を展開。篠橋砦・符丁田砦・森島砦らに紀伊の雑賀衆・地侍・門徒を配して織田軍を待ち構えた。この一戦では特に西河岸の太田口から中洲を渡って砦へと取り付こうとした柴田勝家率いる美濃衆に砦や山から鉄砲・弓などの一斉射撃を浴びせ甚大な打撃を与え、退却しようとした柴田軍に更に追撃を加えて勝家を負傷させ、柴田軍と入れ替わりで殿を務めた氏家卜全を敗死させる戦果を挙げ、織田軍の撃退に成功した。
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