競走能力と適性について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/29 00:25 UTC 版)
「トウショウボーイ」の記事における「競走能力と適性について」の解説
武邦彦はその能力について、1991年には「スピードのない馬は日本では通用しないってことを証明した、日本の近代競馬の申し子みたいな馬」、1999年には「良馬場なら10年先を走っているような超スピード馬」と評し、自らが騎乗した内の最強馬として名を挙げている。保田隆芳も能力面の特徴を「類稀なスピード」にあると評し、1歳年下のマルゼンスキーが『もしもTTGと対戦していたら』という仮定が語られた際も、「マルゼンスキーとやっても、おそらく負けなかったんじゃないか」と述べている。保田によると、トウショウボーイを関西のレースに出走させた際に武田文吾は「10年20年に1頭の、素晴らしい馬だ」と評したという。スピードの加速力だけでなく持続力にも優れ、1600メートル(1977年オープン戦)、2000メートル(1976年神戸新聞杯)、2500メートル(1976年有馬記念)の3戦で当時のレコードタイムを記録して優勝した。一方で重馬場は苦手とし、上記の武の1999年のコメントには「道悪は下手だったが」という但しが付いており、厩務員の長沼昭二は菊花賞当日の朝に激しい雨音で目を覚まして「ああ、これは駄目だ」と観念したという。 走法は常に頭を低く下げ、一完歩(ストライド)が大きいフォームで、見る者にスピード感を与えない走りであった。しかし、この走法が「空を飛んでいるようだ」と喩えられ、「天馬」と渾名される一因となった。また走行時の首の使い方が上手な馬であった。 距離適性は3000メートル以上の距離のレースでは勝利を挙げられなかったため中距離が最適とされ、産駒にも同様の傾向が見られた。
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