私企業による建設
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/14 17:54 UTC 版)
「ケープコッド運河」の記事における「私企業による建設」の解説
1909年6月22日、実用的な運河を建設すべく、工事がついに始まった。技術者ウィリアム・バークレイ・パーソンズ(英語版)の設計を用いて、オーガスト・ベルモント・ジュニアのボストン・ケープコッド・アンド・ニューヨーク・キャナル・カンパニー社が工事を指揮した。運河建設の技術者達は多くの問題に直面した。1つは氷河期の氷河の後退によって残された巨礫(boulder)であった。巨礫を爆破するためにダイバーが雇われたが、その作業が浚渫工事の遅延を招いた。もう1つの問題は冷たい冬場の嵐だった。技術者達は工事を完全に中断し、春の到来を待たざるを得なかった。しかしケープコッド運河は一定の制約付きながら1914年7月29日に開通し、1916年に完成した。私企業所有の有料運河は最大幅30メートル、最大深度7.62メートルでバザーズ湾奥のフィニー港 (Phinney Harbor)から入り、少し困難なルートを通るものだった。狭い水道と航行の難しさのせいで、何件かの事故が起きたため通行量が減り、運河の評判を落とすことになった。その結果、ニューヨークからボストンに至る通商路が100キロメートルも短縮されたのにも関わらず、通行料収入は投資家の期待に届かなかった。
※この「私企業による建設」の解説は、「ケープコッド運河」の解説の一部です。
「私企業による建設」を含む「ケープコッド運河」の記事については、「ケープコッド運河」の概要を参照ください。
- 私企業による建設のページへのリンク