真宗大谷派の門首
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第二十四代 闡如(大谷光暢)の後継者は、新門である長男大谷光紹であったが、1981年6月15日に、真宗大谷派から独立した為、新門から外される。次に孫(光紹の長男)の大谷光見が指名されるが、浄土真宗東本願寺派の新門に就任した為、1988年2月29日に新門から外される。詳細は、上記の「浄土真宗東本願寺派の分立」を参照。 最終的に、大谷暢順の長男である当時15歳の大谷業成(現、大谷光輪(東山上花山 本願寺 第二十五代))が、指名される。そして1993年に、闡如の遷化(死去)のため継承する。しかし未成年であった為、門首代行が置かれる事になる。1996年に、父と共に業成は真宗大谷派から離脱する。その為、門首継承式をしていない業成は、御歴代に記録がされない事が決定する。 1993年〜1996年の間は、大谷演慧(えんねい)鍵役(1914〜2008) が、門首代行を務める。 1996年に闡如の三男である大谷暢顯(淨如)が継承する。 同年11月21日に、門首継承式が行われ、正式に真宗大谷派第二十五代門首となる。 2014年4月、二十五代門首・淨如に子息がいないため長年未決定だった次期門主について、淨如の従兄弟にあたるブラジル在住の大谷暢裕が就任要請を受諾。
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