相場師として再登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/04 18:17 UTC 版)
名古屋へ戻ると、父や兄と共に会社経営や米相場・商品取引を手がけるが、1926年(大正15年)に東京へ出向いて再度隈本の許に寄宿する。この時名前を伊東阪二(いとう はんに)と改め、隈本に頼み込んで世界恐慌の予測をして貰い投機筋に売り込んだ。更に金輸出再禁止を見込んで東京株式取引所株で相場を張り、当時の額で五十万円(現在の価値に直すと約五十億円)の利益を挙げた。一万円を満州派遣軍の慰問費として寄付し、これが新聞で報じられたことから一躍時の人となった。
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