盛土遺構
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/16 09:06 UTC 版)
盛土は現存するものは5基だが、失われたものを含めると少なくとも7基、多く見て9基が存在した。遺跡東半部には、楕円形の外郭を形成するマウンド1、マウンド2と、その内側に独立して存在するマウンド3、マウンド4がある。遺跡西半部にあったマウンドは、小学校建設工事の関係で原形をとどめていないが、小学校敷地内の「自然観察園」にかろうじて1基が残り、マウンド5とされている。このうち規模最大のものは遺跡南端に位置するマウンド1で、長さ60メートル、幅30メートル、高さ1.5メートルを測る。 1973年に実施されたマウンド5の調査において、盛土の下層から縄文後期の住居跡3軒が検出された。マウンドを形成する主要な土層はローム質黄褐色土であり、これが縄文後期の住居跡を覆っていることから、マウンドの形成は縄文後期ないしそれ以降であることがわかる。 環状盛土の東側では、縄文後期から晩期の土器片を大量に含む土によって、谷が埋め立てられており、縄文人による大規模な土木工事の行われたことがわかる。
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