生命の危機と復活
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 13:52 UTC 版)
「アルベルト・コンタドール」の記事における「生命の危機と復活」の解説
しかし2004年5月12日、出場していたアストゥリアス一周の第1ステージで突然意識を失って落車。緊急輸送された病院で脳の海綿状血管奇形が原因と判明。緊急の開頭手術が行われた。一時は生死の境をさまよう重体に陥ったが、半年間の入院期間を経て退院。その復帰初戦となった2005年の1月に開催されたツアー・ダウンアンダーの第5ステージで優勝を果たして復調ぶりをアピールした他、同年3月が最後の開催となったセトマナ・カタラナ(カタロニア週間レース)では総合優勝を果たした。 その後、バスク一周では、優勝のダニーロ・ディルーカ、2位のダヴィデ・レベッリンのイタリア勢に続く総合3位に入りポイント賞を獲得。ツール・ド・ロマンディでもステージ勝利をあげて総合4位に入った。さらに初出場となったツール・ド・フランスでは総合31位、マイヨ・ブラン(新人賞)争いでは3位に入り、活躍の場を一気に広げていった。
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