王安石の改革以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 01:15 UTC 版)
宋の科挙制度も開始時は進士・明経その他の科が設けられていたが、王安石の改革で明経などの諸科が廃止されて、進士科一科となった。元で科挙が開始された時も進士科のみで、明・清もそれを受け継いだ。そのため科挙の登第者のことを進士と称するようになった。 明清では殿試で選ばれた登第者は三甲に分けられた。一甲は状元・榜眼・探花の3名で「進士及第」と称し、二甲は若干名(清では一般に40-50名)で「進士出身」と称し、それ以外の三甲(清では一般に100-300名)は「同進士出身」と称した。世間の人々はそれらをまとめて進士と呼んだのである。
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