範子内親王とは? わかりやすく解説

範子内親王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/22 14:59 UTC 版)

範子内親王(はんし(のりこ)ないしんのう、治承元年11月6日1177年12月4日)- 承元4年4月12日1210年5月13日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の皇女賀茂斎院女院である。高倉天皇の第二皇女。母は小督藤原成範女)。安徳天皇後鳥羽院は異母弟にあたる。六角宮猫間斎院皇后宮[1]とも呼ばれた。院号宣下により坊門院(ぼうもんいん)。


注釈

  1. ^ この後、約二十年間賀茂斎院が空席となる。
  2. ^ 実際に天皇の后となるのではなく、皇女の名誉職としての「尊称皇后」である。

出典

  1. ^ 『明月記』 元久二年閏七月廿一日
  2. ^ 『古今著聞集』 巻十六 興言利口


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