猪俣甚弥とは? わかりやすく解説

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猪俣甚弥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/26 00:00 UTC 版)

猪俣 甚弥(いのまた じんや、1916年大正5年)4月30日 - )は、日本の陸軍軍人陸軍中野学校1期生[1]で、ポツダム宣言受諾後の皇統護持作戦に参加し、「本丸」計画の責任者であった。最終階級は陸軍少佐


  1. ^ 猪俣は1945年6月に予備役となっているが、実際には終戦まで現役で軍務に就いていた。猪俣は皇統護持作戦に自分が関係していたことを秘匿するため陸軍省が事後発令したものと推測している。(『昭和天皇五つの決断』173頁)
  2. ^ 要員候補者は陸軍大臣の「部隊最優秀者を推薦するよう」との指示を基に選ばれた。陸士出身者は候補から除かれている。(『陸軍中野学校』145頁)
  3. ^ 星機関は約3年にわたり活動した。その目的について白系ロシア人工作やスターリン暗殺などの推測があるが真相は不明である。(『昭和史の軍人たち』216頁-217頁)
  1. ^ 『諜報員たちの戦後』70頁
  2. ^ a b c d 『日本陸海軍総合事典(第2版)』「主要陸海軍人の履歴 猪俣甚弥」
  3. ^ a b c d e f g 『昭和天皇五つの決断』「第三章 極秘指令皇統を護持せよ」
  4. ^ a b c d e 『昭和史の軍人たち』「秋草俊」


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