牧野氏の入城とその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/23 14:56 UTC 版)
その後、関東地方で最大勢力を誇った後北条氏も天正18年(1590年)、小田原征伐で没落、大胡高繁の所領も没収され、戦後は徳川家康が関八州の支配者となった。大胡城には徳川氏家臣の牧野康成が2万石で大胡城に入城した。しかし、入城後約25年の元和2年(1616年)、牧野氏は越後長峰に5万石で転封され、大胡領は前橋城主酒井氏の管轄となり、それにより上部構造物が撤去されて大胡城は廃城となった。 1967年(昭和42年)2月24日に群馬県指定史跡になった。
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