牛李の党争とは? わかりやすく解説

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牛李の党争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 21:10 UTC 版)

牛李の党争(ぎゅうりのとうそう)は、中国代の憲宗朝から宣宗朝(808年から849年)にかけて起こった、朝廷内部での政治闘争。唐全土で半独立状態を形成した節度使率いる藩鎮の処遇をきっかけとして、牛僧孺・李宗閔の牛党李徳裕李党の間で激しい権力闘争が行われ[1]、政治的混乱をもたらし、唐滅亡の要因となったと評される。


  1. ^ 「牛李の党争」・「牛党」・「李党」の言葉はそれぞれ用語としての適切さに疑問が投げかけられている言葉であるが、ここではこの呼称で通す。詳しくは#研究の節を参照。
  2. ^ 中国の学界では日本でいう「貴族」のことを「士族」と呼ぶが、この記事中では引用部を除いて「貴族」で統一する。
  3. ^ この頃の宰相職は同中書門下平章事(同平章事)であるが、同平章事にだけ就くということはなく、必ず他に何らかの本官に就く。例えばこの時の李吉甫は中書侍郎兼同平章事である。以下ややこしくなるので単に宰相と記す。
  4. ^ a b 藩鎮の将帥(節度使・観察使)からの招きを受けてその部下となること。
  5. ^ 戦国李牧を遠祖とする。
  6. ^ 陳寅恪1944
  7. ^ 他に「二李」という言葉もある。これは李逢吉と李宗閔のこと。
  8. ^ 日本語訳は渡辺1994、P74より
  9. ^ a b 岑仲勉1957他
  10. ^ 礪波1962
  11. ^ 唐長孺1989
  12. ^ 傅錫壬1984
  13. ^ 渡辺1994


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