熱田太神宮縁記
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/18 20:26 UTC 版)
熱田神宮側の文献として、鎌倉時代初期頃の成立になる『尾張国熱田太神宮縁記』では、道行を新羅僧として説話を記載する(素性を新羅僧とするのは、一説に『日本書紀』の記述の拡大解釈)。 それによると、道行は熱田社から神剣(草薙剣)を盗み出し本国に渡ろうとしたが、伊勢国において神剣は独りでに抜け出して熱田社に還った。道行は再び盗んで摂津国より出港したが、海難のため難波に漂着した。道行は神剣を投げ捨て逃げようとしたが、神剣がどうにも身から離れず、ついに自首して死罪に処せられたという。 そして朱鳥元年(686年)6月10日、天武天皇の病が神剣の祟りと見なされ、神剣は熱田社に移されたとしている。
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