混迷期
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「VOODOO-MURDERS」の記事における「混迷期」の解説
2007年6月、小島聡が加入した。7月には諏訪魔がTNAのスコット・スタイナーと共闘を果たし、10月にはシルバーキング、ゾディアックが加入した。 2008年1月、諏訪魔がVMを脱退したが、4月には元WWEのアル・ダバリが加入した。8月には小島が脱退すると、9月にはジョー・ドーリングが加入。しかし9月に近藤がVMを脱退、10月には新たに平井伸和が加入し、リングネームをヘイトに改名した。 2009年2月、新日本プロレスを退団してフリーになった田中稔が加入するも、YASSHIがプロレスを休業するため離脱した。その後、土方隆司が「歳三」のリングネームとして加入した。同年9月、ゾディアックが脱退した。 2010年1月、レネ・デュプリが加入し、2月にはF4との解散マッチに勝利した。6月にMAZADA、7月にKENSO、10月に河野真幸が加入した。後に鈴木がリングネームをKENSOに、河野がKONOに改名した。12月、KENSOとKONOが世界最強タッグ決定リーグ戦優勝を果たし、同月ダーク・オズ、ダーク・クエルボが加入。 2011年1月、KENSOとKONOが世界タッグ王座選手権に挑戦したが、試合中に仲間割れを起こし敗戦。試合後、KENZOが追放された。 だが、2011年5月29日に試合前の控室にてTARUがスーパー・ヘイトに対して暴行を行い、試合後にスーパー・ヘイトが倒れ病院へ救急搬送された。後日、TARUは試合前の控え室でスーパー・ヘイトに暴行を働いたことを会社に申告し、VMの無期限活動自粛を申し出た。これについて全日本プロレス側はTARUの申し出を了承したため、TARUの無期限活動を自粛、控え室に同席していた稔・河野・MAZADAの無期限出場停止処分及び保持する王座を剥奪、ユニットの解散処分を課した。なお、外国人選手は控え室に同席していなかったため未処分となった。その後、同席した稔・MAZADA・河野の3選手については、スーパー・ヘイトに対する暴行を行っていないとして6月30日付けで処分解除を決定した。稔とMAZADAは7月9日久喜大会で復帰、河野も、右肘手術のため引き続き欠場となった。 2011年11月22日、例の暴行事件により、兵庫県葺合署によってTARUとMAZADAの2人がスーパー・ヘイトへの傷害容疑で逮捕された。調べに対してTARUは、「日ごろの態度が悪いことを叱ったが、反省の色が見られず殴った」と自ら容疑を認めている。
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