池田屋事件で襲撃された主な志士
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「池田屋事件」の記事における「池田屋事件で襲撃された主な志士」の解説
宮部鼎蔵(肥後藩。池田屋で自刃) 北添佶摩(土佐藩。池田屋で自刃。子母澤寛の創作中の階段落ちで有名) 淵上郁太郎(久留米藩。脱出) 大高又次郎(林田藩。池田屋で闘死) 石川潤次郎(土佐藩。池田屋で闘死) 松田重助(肥後藩。池田屋で闘死) 伊藤弘長(土佐藩。池田屋で闘死) 福岡祐次郎(伊予松山藩。池田屋で闘死) 越智正之(土佐藩。池田屋で闘死) 広岡浪秀(長州藩の神職。池田屋で闘死) 吉田稔麿(長州藩。脱出後自刃) 望月亀弥太(土佐藩。脱出後自刃) 杉山松助(事件を知り長州藩邸から駆けつけるが会津藩兵に斬られ、後に死亡) 野老山吾吉郎(土佐藩。戦闘の後、脱出。儒学者・板倉槐堂を頼り、後に長州藩邸で自刃) 藤崎八郎(土佐藩。三条小橋で負傷後自刃、あるいは大坂土佐藩邸に送られた後死亡とも) 近江屋まさ(近江屋女将(42歳)。近江屋で殺害される。「ふさ」とも) 酒井金三郎(長府藩。縄手後で殺される) 内山太郎右衛門(長州藩の無給通士。捕縛され、7月20日(8月21日)に刑死) 佐伯稜威雄(長州藩の神職。捕縛され、慶応元年6月4日(1865年7月26日)に刑死) 佐藤一郎(長州藩京都藩邸吏。捕縛され、7月20日(8月21日)に刑死) 山田虎之助(長州藩の無給通士。いったん脱出。後に捕縛) 大高忠兵衛(林田藩。大高又次郎の弟。いったん脱出。後に捕縛され、7月4日(8月5日)に獄死) 北村善吉(又次郎の門人。槍傷を負うが、池田屋裏から川辺に逃れ、舟入の中へ潜んで助かる) 瀬尾幸十郎(捕縛) 安藤鉄馬(捕縛されるが逃れる) 沢井帯刀(捕縛) 大中主膳(捕縛) 森主計(京。捕縛) 西川耕造(京。一旦脱出。10日後に捕縛され、元治2年2月11日(1865年3月8日)に獄死) 木村甚五郎(京。久坂玄瑞と間違われ、捕縛) 今井三郎右衛門(豊岡藩(46歳)。捕縛され、刑死) 村上俊平(上野佐位郡出身。捕縛され、刑死) 河田佐久馬(因州。脱出) 高木元右衛門(肥後藩。脱出して長州藩邸へ逃れる) 宮部春蔵(肥後藩。鼎蔵の弟。長州藩邸へ逃れる) 岩佐某(丹波。池田屋の風呂桶の中に隠れて助かる) 有吉熊次郎(長州藩。長州藩邸に脱出) 大沢逸平(長州藩。池田屋の風呂桶の中に隠れて助かり、長州藩邸に脱出) 松山良造(越後国。松山高吉の従兄弟、元新選組とも。脱出) 田中長九郎(京。捕縛) 吉田五郎(越前出身。捕縛) 南雲平馬(上野利根郡沼田村出身。捕縛) 国重正文(長州藩。脱出) 錦織有無之助(尾張藩。二階南側より逃走、水戸藩邸に逃げるも追い出され、捕縛され、刑死)
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