江陵浸透事件とは? わかりやすく解説

江陵浸透事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/07 02:32 UTC 版)

江陵浸透事件(カンヌンしんとうじけん)は、韓国江原道江陵市付近の海域において、韓国内に侵入して偵察活動を行っていた工作員を回収しにきた北朝鮮の特殊潜水艦サンオ型潜水艦)が海岸に接近したところ座礁し、帰還の手段を失った乗組員と工作員26名のうち艦長以下11名が集団自決、他は韓国内に逃亡・潜伏し、大韓民国国軍がこれに対し掃討作戦を展開した事件[2][3][4]


注釈

  1. ^ 現場は太白山脈が海岸近くまで迫り、狭い平地を南北に道路が走っていて、周辺は人家もまばらであるなど、潜入・脱出ポイントとしては好条件を備えていた[5]
  2. ^ 北朝鮮の工作員は、主体思想によって理論武装をし、李氏朝鮮時代以来の朱子学に基づく特異な死生観を保持しており、任務遂行のためならば自決も殺人も厭わないとの分析がある。1998年のユーゴ型潜水艇の韓国領海侵犯事件、2001年の九州南西海域工作船事件でも、追い詰められた工作員はことごとく自決している。
  3. ^ 逮捕された李光洙は当初、逃亡中の工作員を援護するため国内に潜入した工作員の総数を20名とする虚偽の証言をしていたが、数日後に当局の取調官が焼酎タバコ等の嗜好品を与えながら潜水艦内部の遺留品の数量について質問すると、26名という事実を自供した。彼が当初20名と供述したのは、20名程度が逮捕または死亡した時点で捜索を打ち切りに追い込み、これによって残りの工作員が北朝鮮に逃げ帰るように考えたためとのことである。
  4. ^ かつて北朝鮮の工作員だった安明進金賢姫は、工作員がピットに隠れていなければ、掃討作戦はこれほどまで長期化しなかっただろうと指摘している。
  5. ^ 日本側は、この局面で韓国の政府・市民の心情に配慮しつつ、KEDOの事業で進められるところは進めようと調停に努めた[6]

出典

  1. ^ a b North Korea apologizes for submarine intrusion”. CNN (1996年12月29日). 2012年12月8日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k 清水(2004)pp.118-120p
  3. ^ a b c d e f g h 山本(2022)pp.136-139
  4. ^ a b 中日新聞東京新聞 (2019年7月12日). “〔アリランの風〕(3)41人死亡の事件から21年”. 中日新聞プラス. 中日新聞・東京新聞. 2022年5月25日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t 李光洙(1998)
  6. ^ a b c d 山本(2022)pp.139-144


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