延岑とは? わかりやすく解説

延岑

(武安王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/07 03:23 UTC 版)

延 岑(えん しん、? - 36年)は、中国代から後漢初期にかけての武将。叔牙荊州南陽郡筑陽県の人。義父は秦豊。義兄弟は田戎。初期は主に漢中や荊州南陽郡を活動地域とした新末後漢初の群雄の一人で、後に蜀(成家)の公孫述配下となった。光武帝の天下統一事業に最後まで抵抗した闘将である。


  1. ^ 延岑は、恐らくは更始政権で漢中王に任命された劉嘉に随従して、漢中入りしたのであろう。
  2. ^ 「光武本紀」本紀第一上
  3. ^ 延岑と劉嘉・李宝との間で、何らかの和解が成立したものと見られる。
  4. ^ 建武3年末の東陽聚の戦いで、すでに秦豊配下の部将の張成の支援を受けているが(『後漢書』朱祜伝)、この戦いに敗れた後にようやく秦豊に合流したとの記述もある(朱祜伝、同鄧禹伝)。そのため、秦豊と縁戚関係を結んだのが、東陽聚の戦いの前後いずれであるかは不詳である。
  5. ^ ただし、この年には、田戎は公孫述の命で荊州攻略を図っており、後述するように、延岑も経緯に不詳な点があるが漢中に出兵している。そのため、荊邯の進言が完全に退けられたわけではないとの見方もできる。
  6. ^ 延岑とその軍が建武4年以降ずっと漢中に留まっていたのか、それとも、いったん入蜀してから漢中に進攻したのかは、不詳である。


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