欧州議会からの引退後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 04:25 UTC 版)
「オットー・フォン・ハプスブルク」の記事における「欧州議会からの引退後」の解説
1999年に欧州議会議員を辞めた後も、精力的に政治活動を続けた。2004年、オットーは「ヨーロッパの将来はキエフとリヴィウで決せられる」と発言した。フランスと同程度の面積を持ち、人口5000万人を擁するウクライナを見て、共産主義体制だった諸国に民主政治を拡大できるかを試そうとしたのである。 1922年から84年間務めていた家長の座を、高齢のため2006年いっぱいで長男に譲り、2007年からカールがハプスブルク家家長となった。その後もしばらくは元気な姿を周囲に見せていたが、2009年に自宅の階段から落ちて以来、万全な体調ではなくなってしまった。
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