検事から州知事へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:14 UTC 版)
「フロイド・B・オルソン」の記事における「検事から州知事へ」の解説
1923年、保守派組織であるミネソタ市民同盟が労働組合の指導者を暗殺しようとした事件を担当したオルソンは、市民同盟への積極的な追及により地元の労働運動で英雄となった。 強力な地盤を獲得したオルソンは、1924年にミネソタ農民労働者党の代表としてミネソタ州の知事選挙に出馬する。選挙戦では惜しくも共和党の候補であるセオドア・クリスチャンソンに敗れたが、それでも5%差で2位に付けるという奮闘ぶりであった。 選挙から4年後の1928年、農業労働者党へと再編された新党は再びオルソンを候補として知事選に打って出ようとした。しかし当のオルソン本人が出馬を辞退し、代わりの候補もこの選挙戦では敗北を喫した。 1930年、前年から始まった世界恐慌の影響はミネソタの地にも及んでいた。そんな中オルソンは農民や労働者、自営業主を農業労働者党の味方に付けミネソタ州知事選挙に出馬する。オルソンはこの選挙で59%の得票率で地滑り的勝利を果たし、翌1931年に第22代ミネソタ州知事に就任した。
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