枡改め
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/07/06 16:44 UTC 版)
枡座による「枡改め」が実施されたのは、安永年間のことであった。安永3年(1774年)に樽屋藤左衛門が当時の江戸町奉行・牧野大隅守に枡改めの願書を提出し(10月28日付)、牧野大隅守はそれをもう1人の町奉行・曲淵甲斐守との連名で老中・田沼意次に提出した。この願書は安永5年に許可され、樽屋は2月23日に牧野大隅守から許可された旨を直接言い渡された。 当時は、枡座を通さない無認可の枡が横行し、そのために枡座の枡が売れず経営に支障が出てきた。枡改めは、そのために樽屋から願い出て行われたものであり、幕府が積極的に枡の統一を図ろうとしたのではなかった。京都の枡座の枡改めの許可は安永7年(1778年)8月に出された。 許可が出された後、樽屋はその実施要領を作成し安永7年(1778年)の2月に申請。同年5月に枡改めの規則16箇条が定められた。その内容は、「枡座の焼印の無い枡は没収」「焼印があり、容量が枡座製のものと同じでも、枡座製以外のものは没収」「枡座で作る7種以外の容量の枡は没収」「容量が枡座のものと同じで、枡座製と確認できるものは、古くても使用を認める」「諸国の私製枡は、製造者や領主の焼印があっても、違法であるから、密かにこれを調査し幕府に報告する」などであった。
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