東工場の増築
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/07 06:02 UTC 版)
昭和40年代の日本経済は、輸出を中心に大いに発展し、内需面でも第1次住宅ブームが到来、住宅着工数が順調に伸びたことにより衛生陶器業界に好況をもたらしたが、その反面、業界の生産能力増大と好況期間の合間に反動的に不況もおとづれて減産を余儀なくなされた時もあった。特にオイルショック後の需要の減退は、凄まじいものがあった。北陸窯業も減産時においてはやむなく窯空間を利用して、陶製鬼瓦(鋳込鬼)や食品容器としての瓶類の代替生産を行い操業と生産高維持をはかったが、このうち瓶類については市場で予期しなかった好評を得、食品容器における樹脂公害もあって陶器卸筋より度重なる増産要請を受けたが、しかし大幅増産するには窯の能力はなく検討の結果、昭和51年、オイルショック後の混乱期も平静となり経済も回復基調となってきたこともあって東工場建設を決定、トンネル窯、成形設備の新設により瓶類の本格生産に入った。商品名を「たいら窯」の名称で全国的に出荷、平成5年生産を中止するまで続いた。
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