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木の実ナナ | |
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木の実ナナ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/01/28 04:03 UTC 版)
木の実 ナナ(きのみ ナナ、1946年7月11日 - )は、日本の女優、歌手である。所属事務所はアトリエ・ダンカン。
東京都向島区寺島町(現在の墨田区向島)出身。区立寺島中学校卒業、城西高等学校中退。
木の実== 来歴 ==
- 出身地付近は鳩の街と呼ばれた歓楽街だった。幼少期は、彫りの深い独特の顔立ちから混血児に間違えられ、苛められた経験がある。
- 父はトランペット奏者、母は踊り子。父が19歳、母が20歳の時に生まれた。体が弱く、3歳まで歩けなかったという[2]。その後、身体を鍛える為に5歳からバレエを始めると直ぐにのめり込み、ダンサーに憧れを持つ。
- 中学3年の時に渡辺プロ主催の新人オーディションがジャズ喫茶「新宿ACB」で開催されるも、受験する友人は緊張の余り固まってしまい、困った司会者より「じゃあ!君が代わりに唄って!」と指名され、堂々とした唄いっぷりもあって優勝。猛反対する父親を説き伏せ芸能界入りした。
- デビュー曲は「東京キカンボ娘」1962年。菊村紀彦作詞・作曲。「木の実ナナ」の芸名は、この時に菊村によってつけられた。漢字、ひらがな、カタカナの三つがそろった名前は、菊村が「歌だけでなく、踊りも芝居もできる人になってほしい」という思いを込めたものだという。「着の身着のまま」が芸名の由来という説は木の実ナナ自身が否定している。[3]。
- 1962年、音楽番組『ホイホイ・ミュージック・スクール』(日本テレビ)でデビュー。当時、この番組のイメージにより「ホイホイ娘」と呼ばれていた。
- 1967年には「ミニ・ミニ・ロック」という曲をヒットさせた。
- 人気を集めたが番組終了と同時に低迷、前座歌手をする日々が続く。またヒット曲に恵まれず、心機一転として1970年には本場のショー・ビジネスを学ぼうと渡米。
- 1973年、帰国後に劇団四季のミュージカルに自ら応募。同年「アプローズ」に出演、ヒット作となり、自身も高い評価を受けて舞台女優としての地位を確立した。この時、主演を務めた越路吹雪とは共演を機にプライベートでも親しく付き合うようになり、多大な影響を受けたと言う。以後、多数のミュージカルに出演する様になった。
- 1974年から始まった、細川俊之との歌と踊りとしゃれた会話でつづる二人芝居『ショーガール』は16作品、公演数547回、観客動員数は60万人を超す大ヒットとなる。1975年、芸術選奨新人賞受賞。1976年、紀伊國屋演劇賞受賞。
- 1977年頃、西田敏行や武田鉄矢と共に、バラエティー番組『みごろ!たべごろ!笑いごろ!』に出演し、コントを披露した。
- 1982年、五木ひろしとのデュエット「居酒屋」が大ヒットを記録。
- 現在は「阿OKUNI国」、「伝説の女優」など多くの舞台に出演。ドラマ、CMなどでも多岐に活躍している。
- 1960年代頃から現在までミニスカートを着用することもある。とても口が大きい
- ^ 所属事務所のサイト内のプロフィールに記載
- ^ NHK、ラジオ深夜便『母を語る』、2008年1月22日放送の中で木の実が語った。
- ^ 当時「このみ」と呼ばれることがあり「『着の身着のまま』の『き』です」と木の実が言っていたのが芸名の由来だと勘違いされたのだという。(2011年12月6日 朝日新聞夕刊「人生の贈り物」の中で木の実自身が語っている。)
- ^ NHK うつサポート情報室を参照
- ^ 2009年10月30日放送の「ぴったんこカン・カン」より本人、安住談
[続きの解説]
「木の実ナナ」の続きの解説一覧
- 1 木の実ナナとは
- 2 木の実ナナの概要
- 3 関連項目
固有名詞の分類
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