久自国造
(有道氏 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/26 02:10 UTC 版)
久自国造(くじのくにのみやつこ、くじこくぞう)はのちに常陸国北中部となる地域(久自国)を支配した国造。
注釈
出典
- ^ a b 『国史大系. 第7巻』
- ^ a b c d e f 『新訂増補國史大系 第7巻』
- ^ 『寛政重修諸家譜』『金沢市史』『藩史大事典』
- ^ 久米郷、久米村
- ^ 梵天山古墳群 - 茨城県教育委員会(2016年10月5日午後0時(昼)12分(JST)閲覧)
- ^ 梵天山古墳群 - 常陸太田市観光物産協会公式ホームページ(2017年5月16日午前0時(15日深夜)30分(JST)閲覧)
- ^ a b 久自国造 ( 常陸 ) - 日本辞典(2018年2月25日午前3時10分(JST)閲覧)
- ^ 『日本歴史地図 原始・古代編 下』。
- ^ 2017年12月7日午後9時49分(JST)閲覧
- ^ 現地説明板
有道氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 02:07 UTC 版)
在道氏とも表記する。大部長道・大部氏道・大部継道・大部福道の4人が天長10年(833年)2月丙子に姓を有道氏(姓は宿禰)に改姓されたことにはじまる(『続日本後紀』)。支族に有道姓児玉党など。
※この「有道氏」の解説は、「久自国造」の解説の一部です。
「有道氏」を含む「久自国造」の記事については、「久自国造」の概要を参照ください。
- 有道氏のページへのリンク