曾我祐準 そが すけのり
福岡柳川生まれ。陸軍軍人、政治家。父は柳川藩士。元治2年(1865)に長崎へ出て洋学を学ぶ。明治元年(1868)新政府の海軍御用掛となる。のち陸軍に転じ、西南戦争時は第4旅団司令長官として西郷軍の鎮定にあたる。14年(1881)に谷干城らと開拓使官有物払下げ中止・憲法制定を上奏。15年(1882)より参謀本部次長として陸軍拡張に努めるが、薩長閥の主流派と対立して軍職を去る。その後宮中顧問官・日本鉄道会社社長・枢密顧問官を歴任。24年(1891)より貴族院議員を勤め、谷干城らと土曜会の中心人物として活躍した。大正3年(1914)のシーメンス事件に際して、第1次山本内閣の倒閣に関わった。
キーワード | 陸軍軍人, 政治家 |
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曾我祐準
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 16:22 UTC 版)
曾我 祐準(そが すけのり、「すけゆき」とも、天保14年12月25日(1844年2月13日) - 昭和10年(1935年)11月30日)は、日本の陸軍軍人、政治家。陸軍中将勲一等子爵。
- ^ 原田敬一『帝国議会誕生--今の国会と何が違うか!』文英堂、2006年。柴崎力栄「国家将来像と陸海軍備をめぐる海軍と徳富蘇峰」大阪工業大学紀要人文社会篇56巻1号、2011年10月。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、4頁。
- ^ 『官報』第2534号、明治24年12月9日。
- ^ 『官報』第8035号、明治43年4月8日。
- ^ 『官報』第819号、大正4年4月28日。
- ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3301号「叙任及辞令」1894年7月2日。
- ^ 『官報』第7653号「叙任及辞令」1908年12月28日。
- ^ 『官報』第1001号「叙任及辞令」1915年12月2日。
- ^ 『官報』第307号「叙任及辞令」1884年7月8日。
- ^ 『官報』第1906号・付録「叙任及辞令」1889年11月4日。
- ^ 『官報』第7272号「叙任及辞令」1907年9月23日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
- ^ 『官報』第3407号「叙任及辞令」1923年12月29日。
- ^ 『官報』第1499号・付録「辞令二」1931年12月28日。
- ^ 『官報』第1510号「宮廷録事-恩賜」1932年1月15日。
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