曾我蕭白とは? わかりやすく解説

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そが‐しょうはく〔‐セウハク〕【曽我蕭白】

読み方:そがしょうはく

[1730〜1781]江戸中期画家京都の人。本姓三浦。名は暉雄(てるお)。曽我蛇足・直庵の画風慕い蛇足軒・蛇足十世自称荒々しい筆致特異な人物画描いた


曾我蕭白

読み方そが しょうはく

江戸中・後期画家京都生。姓は三浦、名は暉雄、暉一・暉とも称する。字は師龍、通称左近二郎別号蛇足軒・鬼神斎・如鬼等。高田敬輔に学ぶが、自ら曾我蛇足十世名のり室町時代水墨画を慕う。池大雅とも交友があり、また奇行逸話残している。天明元年(1781)歿、51才。

曾我蕭白

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/29 23:26 UTC 版)

曾我 蕭白(そが しょうはく、 享保15年(1730年) - 天明元年1月7日1781年1月30日))は、江戸時代中期の絵師。蛇足軒と自ら号した。高い水墨画の技術を誇る一方、観る者を驚かせる強烈な画風で奇想の絵師と評される。


  1. ^ ボストン美術館にも蕭白による同画題の作品がある。
  2. ^ Mary Griggs Burke Collection, Gift of the Mary and Jackson Burke Foundation, 2015
  3. ^ 『朝日日本歴史人物事典』朝日新聞社、1994年、曾我蕭白頁。 
  4. ^ a b 桃澤如水 「曾我蕭白」、『日本美術 第85、86、88号』収録、1906年。『三重県史談会会誌』1911-12年に如水の友人三村秋良によって増補され再掲載。
  5. ^ a b 安西雲煙 『近世名家書画談』一編、天保元年(1830年)刊
  6. ^ 曽我蕭白旧永島家襖絵(三重県立美術館)(2017年9月23日閲覧)
  7. ^ 人物の比定は、辻惟雄 「興聖寺の蕭白一族の墓および過去帳の記載について」『國華』第905号、1967年、佐藤康宏 『小学館ギャラリー新編 名宝日本の美術第27巻 若冲・蕭白』、狩野博幸『無頼の画家 曾我蕭白』p.46、などによる。各研究者の仙人比定一覧は、伊藤紫織 「曾我蕭白「群仙図屏風」をめぐる一考察」(千葉市美術館紀要 『採蓮』第3号、2000年)を参照。
  8. ^ 波に鶴と水鳥を描いた12面の襖絵について、かつては「波濤群鶴図」(8面)および「波に水鳥図」(4面)という2つの画題として扱われていたが、図様の連続性などの観点から、所蔵先の三重県立美術館では「波濤群禽図」12面として扱っており、重要文化財としての指定名称も同様である。(参照:「曽我蕭白旧永島家襖絵」(三重県立美術館)(2017年9月23日閲覧))
  9. ^ 「山水図(瀟湘八景図)」8面、「狼狢図」3面、「牧牛図」4面の計15面は永島家を離れて同家の親戚筋で所蔵され、「めくり」の状態で保管されていた(参照:「曽我蕭白旧永島家襖絵」(三重県立美術館)(2017年9月23日閲覧))。これらは1998年の重要文化財指定時には掛幅装となっていたが、保存修理後に改装され、単位呼称が「幅」から「面」に変更されている(平成26年8月21日文部科学省告示第111号)。
  10. ^ 図録(2005)pp.23-25。
  11. ^ 本作は肉体の実在感が乏しく、特に鉄拐の右手に立てた小指が元図だと自分の魂を吐き出す方向へ添えられた動作だったのが、本図では逆方向へ吹き出したため単に気取った手つきにしか見えないといった不自然な点から、東京芸術大学大学美術館の「群仙図屏風」の蝦蟇と(画像)と東京国立博物館の「蝦蟇鉄拐図屏風」の鉄拐(画像)を組み合わせた贋作とする意見もある(佐藤康宏「真贋を見分ける」、『東京大学公開講座73 分ける』東京大学出版会所収 41-45頁 ISBN 978-4-130-03103-5)。また同論文では、ボストン美術館の蕭白コレクションは優品も含まれているものの、本作のように真作か疑わしい作品も多いとしている。
  12. ^ 吉田悦之監修 三重県立美術館編集・発行 『開館三十五周年記念3 本居宣長展』 2017年9月30日、第178図。
  13. ^ a b 鳥取県立博物館編集・発行 『鳥取県立博物館所蔵美術品目録《石谷コレクション編》』 2007年3月、pp.12-14,27。
  14. ^ 福士雄也 「曾我蕭白筆 「富士三保清見寺」」『国華』第1464号、2017年10月20日、pp.20-24、ISBN 978-4-02-291464-4


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曾我 蕭白

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「曾我蕭白」の記事における「曾我 蕭白」の解説

天明元年1月7日1781年1月30日))は、江戸時代中期絵師蛇足軒と自ら号した。高い水墨画技術を誇る一方観る者を驚かせる強烈な画風奇想絵師評される

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