星川稚宮皇子
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星川稚宮 皇子(ほしかわのわかみや の みこ、生年不詳 - 雄略天皇23年(479年))は、『日本書紀』に伝えられる[1]古墳時代の皇族(王族)。雄略天皇と吉備上道臣氏出身の稚媛との間の子で、磐城皇子の弟。雄略天皇の死後に反乱を起こしたという(星川皇子の乱)。一般に「稚宮」を省略して星川皇子と呼ばれることが多い。『古事記』は系譜・反乱伝承ともに欠いている。このため、皇子の反乱の鎮圧に貢献したとされる大伴室屋の子孫である大伴氏に伝わる伝承が『日本書紀』に取り入れられたもので、『古事記』の元になった『旧辞』には伝えられていなかった伝承であるとする説もある[2]。
- ^ 神社資料データベース・大神宮三座
- ^ 笹川尚紀「『日本書紀』の編纂と大伴氏の伝承」(初出:『日本史研究』第600号(2012年)/笹川『日本書紀成立史攷』(塙書房、2016年)ISBN 978-4-8273-1281-2)
- ^ 『日本書紀』雄略天皇7年是歳条
- ^ 『日本書紀』雄略天皇23年8月7日条
- ^ 『日本書紀』清寧天皇即位前紀条
- ^ 馬部隆弘「椿井文書―日本最大級の偽文書」(中央公論新社、2020年)
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