日劇・スカラ座の時代
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1979年(昭和54年)前後には、岸和田日活劇場を岸和田日劇と改称している。このころには岸和田日劇では松竹・東宝の作品を、岸和田スカラ座では引き続き洋画を上映した。その後、一時東映の準直営館になっていた岸和田東映劇場は、山村劇場(代表および支配人・辻円暁)に返還され、1982年(昭和57年)に閉館しており、以降、同市内の映画館は同和商事の経営する映画館3館だけになった。東映の作品を引き継いだのは岸和田日劇で、同館では松竹・東宝・東映の作品を上映した。1984年(昭和59年)からは、岸和田日活劇場・岸和田スカラ座の宇山稔支配人、岸和田大劇の山野実支配人に代わって、浅原馨が新たに就任し、3館の支配人を兼務した。この体制は、同館2館の閉館まで継続した。この間、同社が同府大阪市に経営した九条映劇を1981年(昭和56年)に、同じく九条シネマを1983年(昭和58年)にそれぞれ閉館しており、1987年(昭和62年)には同社が京都府京都市に経営し、浅原馨が支配人を兼務していた伏見東劇(かつての伏見大映、1956年開館)を閉館している。 1988年(昭和63年)には、両館とも閉館している。同館閉館後の同市に残ったのは、同和商事の経営する最後の映画館でもある岸和田大劇のみになった。同館の跡地は、Google ストリートビューによれば、2009年(平成21年)9月現在、駐車場である。
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