新宿イーストサイド再開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 03:13 UTC 版)
「新宿イーストサイドスクエア」の記事における「新宿イーストサイド再開発」の解説
東新宿駅の南東部約3.7万m²には、読売新聞社社主の正力松太郎の構想により、高さ550mのテレビ塔と下層部のホテル・オフィス・百貨店からなる「正力タワー」が計画され、日本テレビ放送網、三菱電機、大成建設、三菱地所により準備が進められていた。正力の死去により計画は建ち消えとなり、その後、「日本テレビ・読売新聞ハウジング・スクウェア新宿」「日本テレビゴルフガーデン」となった。2000年に閉鎖後、2007年に跡地の街並み再生方針が策定され、街並み再生地区指定を受け、都市計画が決定された。同計画では、整備目的として、(1)多様な都市機能が集積した住む人、集う人にとって魅力のある街の形成、(2)東新宿駅や地域の既存資源を活かした賑わい・文化・交流の拠点形成、(3)土地の高度利用と街並みの誘導、(4)良好な都心居住の実現、(5)地域の生活環境向上への貢献が掲げられた。同年末にUR都市機構の競争入札によって三菱地所等が出資する新宿6丁目特定目的会社が落札し、同社が開発する敷地一帯を「新宿イーストサイド」と命名し、日本土地建物、大和ハウス工業、平和不動産とともに再開発がスタートした。 新宿イーストサイドスクエアの計画時の名称は「(仮称)新宿6丁目N街区計画」であり、パークハビオ新宿イーストサイドタワーは「(仮称)新宿6丁目S街区計画」であった。
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