斉藤利起とは? わかりやすく解説

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斎藤徳元

(斉藤利起 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 03:51 UTC 版)

斎藤 徳元(さいとうとくげん、永禄2年(1559年) - 正保4年8月28日1647年9月26日))は、安土桃山時代江戸時代初期の美濃国出身の武将俳人。豊臣姓。名を元信。また辰遠とも。通称は斎宮、号に帆亭。斎藤元忠の子。元忠の母は斎藤義龍の妹とあるので、斎藤道三は曾祖父に当たる。父斎藤元忠から、織田秀信の代官で、富加町加治田村地域の領地を掌していた。親族は美濃斎藤氏の加治田城城主二代目斎藤利治・三代目斎藤利堯。位階・従五位下墨俣城城主。


  1. ^ 富加町史通史編 「女装の格好で城を忍び出た」
  2. ^ 富加町史編集委員会「家老新五の最期」『富加町史』上巻、富加町、1980年、233頁。
  3. ^ 「斎藤利堯の甥にあたる斎藤元忠と子の斎藤徳元であるが、名に忠と徳の元がある。忠は美濃佐藤氏の佐藤忠能の字であるし、徳は長沼三徳の字が関わっていると考えられ、斎藤徳元も斎藤利治の血が繋がっていると推察できる。斎藤徳元が斎藤市郎左衛門の同一人物の可能性がある。」


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