改革の逆行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/31 01:59 UTC 版)
閔妃は大院君の改革を差し戻すかのように、儒学者の支持を得る為に財政的に弊害となる書院を復設させ、各党派及び有能な人材を官職につけさせる人事行政をやめさせ、閔妃の重用する人物が要職に就くことになった。大院君の政策によって官職に就いた者は放逐され、大部分の両班は失望した。成均館儒生及び八道の儒生は王宮に押し寄せて閔妃を非難するが、閔妃に同情する高宗の胸には響かなかった。この頃大院君は揚州郡稷洞に下った。黃玹の「梅泉野録」によれば、この頃の閔妃は元子(世子の冊封前の称号)を出産したので、巫堂ノリという儀式などを毎日行わせ、その額は国家予算の数倍にも上った。とうぜん内需司では賄いきれず、各省庁の公金を使用し、大院君が備蓄した国庫金を一年足らずで使い果たして破綻させてしまった。貪官汚吏は閔妃一族が握る官吏や利権を得るため、競って財物を献上していたとある。このような事があって民衆も大院君を支持するようになる。
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