摂津職
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摂津職(せっつしき / つのつかさ / つのしき)は、日本の律令制下で、飛鳥時代から奈良時代にかけて津国(摂津国)に設置された行政機関。一般国司と同様に同国の司法、行政、警察を担当したほか、難波津・難波京(難波宮)の管理も兼ねた。
- ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇6年10月14日条
- ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇12年12月17日条
- ^ 『日本書紀』巻第二十九、天武天皇15年正月14日条
- ^ 『続日本紀』巻第九、聖武天皇、神亀3年10月19日条、26日条
- ^ 『続日本紀』巻第十一、聖武天皇、天平6年3月15日条
- ^ 『続日本紀』巻第三十八、桓武天皇、今皇帝、延暦3年5月14日条
- ^ 『続日本紀』巻第三十八、桓武天皇、今皇帝、延暦3年5月24日条
- ^ 『続日本紀』巻第三十八、桓武天皇、今皇帝、延暦4年正月14日条
- ^ 『続日本紀』巻第四十、桓武天皇、今皇帝、延暦8年11月14日条
- ^ 『続日本紀』巻第四十、桓武天皇、今皇帝、延暦9年9月16日条
- ^ 『日本後紀』巻第二、桓武天皇、延暦12年3月9日条
摂津職
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さらに摂津国には摂津職(せっつしき)が置かれ、国司の職務も兼ねた。摂津職は、京に置かれ難波津を管理し、京と西国の間を上下する公使の検査などを本来の任務としたが、天武朝に難波が陪都(副都)とされ、また聖武朝にも難波宮が造営されると、その管理にも当たった。難波宮の廃止に伴い793年(延暦12)には摂津職が廃止され、摂津国と改めた。
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