抗議活動の始まり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 18:45 UTC 版)
「コチャバンバ水紛争」の記事における「抗議活動の始まり」の解説
CDAVは、12月1日に最初の集会とデモを組織した。そして2000年1月11日までに水道料金の値下げとトゥナリとの契約破棄などを要求し、これに応じない場合は幹線道路の封鎖と無期限ストライキの実施を宣言した。 一方で、市民委員会は独自の動きを示し、CDAVの活動とは別に、1月11日、コチャバンバ市民に24時間ゼネストを呼びかけた。市民委員会は、もともとトゥナリ社との契約に賛成の立場をとっており、急進派の市民に押される形で反対運動を行っている状況であった。このようにCDAVと市民委員会という2つの抗議運動の流れができた。 市民委員会の24時間ゼネストは1月12日に解除された。CDAVの無期限ストライキに呼応したのは都市郊外と農村だけであった。 1月13日、市民委員会とCDAVの代表者が参加し、政府との交渉の場が用意された。この会議で政府は、水道料金検討委員会の設置、国家の利益に反する契約条項の見直し、契約には私有水源は含まれないことの明記などの条件を示した。しかしCDAVの代表者たちは、CDAVを支持している民衆の意見を聞かなければ合意できないとして、署名を拒否した。
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