戸田忠真
戸田忠真
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 04:06 UTC 版)
佐倉城主より転封。江戸から極めて近い佐倉城主であったが、戸田氏が幕閣から遠ざかったために、江戸から離れた高田に移された。佐倉城主は幕閣の中枢の譜代大名がしばしば入封するのが例であったため、忠真の父の忠昌が致仕したことにより、領地替えとなった。忠真に対する懲罰と言うより、稲葉正往の佐倉入りに伴い、忠真が弾き出された形に近い。その後、忠真が幕閣で重視されるに伴い、江戸により近く、関東の重要拠点である下野宇都宮に再移封された。
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