戦後、自殺した主な死刑囚
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/28 01:48 UTC 版)
「日本において獄死もしくは恩赦された死刑囚の一覧」の記事における「戦後、自殺した主な死刑囚」の解説
デフォルトでは死去日の昇順に配列。事件名の列は死刑囚の仮名順・氏名の50音順にソートされる。 事件名(死刑囚名)事件発生日確定日死去日年齢備考M/大田原女性セールスマン殺害事件 (M) 1971/08/02 1974/07 1975/09/05 34 東京拘置所の独房で、鉄格子に引き裂いたシーツを縛りつけ、首吊り自殺。 T/福岡現金輸送車職員毒殺事件 (T) 1964/12/15 1969/12/23 1975/10/03 38 家庭不和解決のため、筑後市職員に支給されるボーナスを奪うことを計画し、福岡県筑後市で、知人の市役所職員ら3人がボーナス資金を運搬していた乗用車に乗り込み、青酸カリ入りの強肝疲労回復剤を言葉巧みに飲ませた。1人は吐き出して助かったが、2人はそのまま死亡した。事件当時、手口が帝銀事件に酷似しているとして話題になった。1975年10月3日朝、収監先の福岡拘置支所の独房内で、左手首を剃刀で切って自殺。この日はTの死刑執行が予定されており、死刑執行日の自殺は極めて稀である。以来、死刑囚に対し死刑執行の事前通告を一切しなくなったとされる。当日はT以外にも、福岡2人連続殺傷事件のK死刑囚にも刑が執行される予定だったが、Tの自殺のためにKの死刑執行は2日後(10月5日)に延期された。 Y/新潟デザイナー誘拐殺人事件 (Y) 1965/01/13 1971/06/01 1977/05/21 35 東京拘置所の独房の窓ガラスを割り、その破片で首を切り自殺。 O/平取事件 (O) 1979/07/18 1993/12/10 1999/11/08 55 1999年11月8日朝、収監先の札幌拘置支所で入浴中、剃刀で右首(頸静脈)と左手首を切りつけて自殺。死刑確定者の自殺は1961年以降、4例目だった。それ以前の1997年10月12日にも、ポリ袋を粘着テープで鼻の穴に固定し、窒息死による自殺を図っていたが、この時は職員に気づかれ、未遂に終わっていた。 Y/日医大事件・前橋スナック銃乱射事件 (YO) 2003/01/25 2014/03/14 2020/01/26 71 東京拘置所で服を着たまま布団の中で、自作の刃物で首を切りつけて自殺。
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