戦乱とラッカの衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:45 UTC 版)
9世紀末、エジプトおよびシリアで分立したトゥールーン朝がジャズィーラに侵攻し、アッバース朝と交戦が続いた。続いてシーア派過激派勢力カルマト派がシリアで反乱を起こしたため戦乱が続きラッカの繁栄は終わりを告げた。940年代、ベドウィン系のハムダーン朝がアッバース朝の政権を奪うとラッカは急速に衰えた。10世紀末から12世紀始めにかけ、ラッカはウカイル朝ほかベドウィン系王朝が支配した。
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