成り立ちから市制施行まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 05:08 UTC 版)
「上荒田町」の記事における「成り立ちから市制施行まで」の解説
荒田という地名は鎌倉期より荘園名として見え、薩摩国のうちであった。建久8年の薩摩国図田帳の記述にあるのが初見であると考えられており、大隅正八幡(鹿児島神宮)領であったとされている。室町後期から戦国期にかけては荒田名と書かれるようになった。 江戸時代には薩摩国鹿児島郡鹿児島近在のうちで、村高は「天保郷帳」では1,317石余、「旧高旧領取調帳」では1,525石余であった。1879年(明治12年)に荒田村の一部から下荒田町(現在の下荒田の一部)が分立した。
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