愛発関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/23 16:30 UTC 版)
愛発関(あらちのせき)とは、北陸道に置かれ、越前国にあったとされる関所。東海道の伊勢国鈴鹿関と東山道の美濃国不破関とともに古代三関(さんげん)の1つであった。奈良時代から平安時代初期の一時期のみ存在し、のちに逢坂関にとってかわられた。その詳細な所在地は明らかになっていない。ただし、敦賀市疋田近辺が地域名として愛発の名を継承し、愛発小学校、愛発中学校(いずれも廃校)、愛発駐在所などの名称のほか、検問所も置かれている。
- ^ 近江俊秀『古代道路の謎 奈良時代の巨大国家プロジェクト』
- ^ a b 福井県文書館、『福井県史』「愛発関」2017年5月13日閲覧
- ^ a b c d e f g 舘野和己「古代越前国と愛発関」 (PDF) 、2017年5月13日閲覧
- ^ a b c d e f 『福井県歴史の道調査報告書 第1集 北陸道I・吉崎道』
- ^ a b 舘野和己「愛発関をめぐる研究状況 1997年7月24日 愛発関調査委員会 史料研究会講義録」
- ^ 『敦賀の歴史』「4 敦賀津と愛発関」
- ^ a b c 福井県文書館、『福井県史』「愛発関の位置」2017年5月13日閲覧
- ^ a b 川村俊彦「愛発関跡所在地をめぐる諸問題」
- ^ 関ケ原町歴史民俗資料館、不破関」2017年5月13日閲覧
- ^ 亀山市歴史博物館、『亀山市史 考古編』「第7章 鈴鹿関跡」2017年5月13日閲覧
- ^ a b 福井県文書館、『福井県史』「近江から越への道」2017年5月13日閲覧
- ^ 木下良「敦賀・湖北間の古代交通路に関する三つの考察」
- ^ a b c 門井直哉「近江・越前間の古代北陸道の変遷について」 (PDF) 、2017年5月13日閲覧
- ^ 福井県文書館、『福井県史』「押勝の乱」2017年5月13日閲覧
- ^ 福井県文書館、『図説 福井県史』「愛発関と恵美押勝の乱」2017年5月13日閲覧
- ^ 『越前愛発関調査概報Ⅰ』
- ^ 『越前愛発関調査概報Ⅱ』
- ^ 『越前愛発関調査概報Ⅲ』
- ^ 『越前愛発関調査概報Ⅳ』
- 愛発関のページへのリンク