思想・詩文・散文
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/11 09:09 UTC 版)
徐渭は、王陽明の門弟子の王畿や季本、その弟子の唐順之らに師事し思想面や文学面で陽明学の影響を強く受けている。とりわけ、季本を敬愛し、27歳のときから師が没する41歳まで師弟関係が継続した。その死を悼んで「李長沙公哀詞三首」を詠み、「先師彭山先生小伝」を書いてその行跡を伝えた。 当時の文学界では華美で大仰な「台閣体」に対して古文復興運動の機運が高まり、李攀竜や王世貞ら古文辞派が唱える擬古主義が台頭しはじめていた。しかし、徐渭は古文辞派を批判し、自らの素直な気持ちを表現すべきであると主張。袁宏道は徐渭を敬愛し『徐文長伝』を著している。晩年には詩人の梅国楨とも交友した。また劇曲家で古文辞派批判の急先鋒の湯顕祖も、徐渭の『四声猿』を高く評価した。『四声猿』は異色作として後進に大きな影響を及ぼした。なお『曲律』の作者である王冀徳は徐渭の直弟子である。 鄭振鐸は徐渭を李贄や湯顕祖とともに公安派の先駆者と評している。近年の研究では、唐宋派から公安派・竟陵派への架け橋として位置づけられている。
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