五島勉
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五島 勉(ごとう べん、1929年(昭和4年)11月17日 - 2020年(令和2年)6月16日)[1]は、日本の作家・ルポライター。1973年に社会不安とメディアの作品への扱い方を背景として、1960年代生まれから以降の幼少世代を中心に「1999年7月に世界滅亡」を信じる者が続出し、日本国内に未来への悲観的影響を与えた『ノストラダムスの大予言』を書いたことで知られる[2]。
- ^ a b “「ノストラダムスの大予言」、作家の五島勉さん死去…90歳”. 読売新聞. (2020年7月21日) 2020年7月21日閲覧。
- ^ “74年の特撮『ノストラダムスの大予言』 ヒットするも子供たちは人類滅亡に恐怖して…(マグミクス)”. Yahoo!ニュース. 2020年7月21日閲覧。
- ^ 超常現象大事典・著者正誤表
- ^ a b c d e 『噂の眞相』1999年3月号。
- ^ 宮崎(1995)、p.162.
- ^ 宗教団体アーレフ広報部. “旧教団オウム真理教の事件とその動機について”. アーレフ. 2006年12月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年4月29日閲覧。
- ^ 宮崎(1995)、pp.158 f.
- ^ 批判としては、後掲の志水一夫の文献(志水1992、志水1997、志水1998)や山本弘の文献(山本1998、山本1999、山本2000)などがある。
- ^ 志水(1998)、pp.14 f.
- ^ 『ノストラダムスの大予言IV』初版オビ他
- ^ 『[聖母マリア・悲しみの大予言』青春出版社
- ^ 『アジア黙示録』光文社
- ^ 唐沢俊一「五島勉『危機の数は13』――ノストラダムスもビックリ、トンデモ・スパイ小説」、と学会(1996)、pp.131-136.
- ^ と学会公式サイト内「日本トンデモ本大賞」
- ^ 酒見賢一、MMR「(対談)オカルトと漫画が発想の原点」『In pocket』、講談社、1994年1月、16-17頁。
- ^ 安藤(2004)、pp.112-113
- ^ 山本弘の後掲書(山本1998、山本1999、山本2000)などを参照。
- ^ “信じているの?! 『1999年7の月』”. 朝日新聞 (朝日新聞社): p. 夕刊1面. (1999年7月1日)
- ^ 「ホントに懲りない五島勉「ノストラダムス外れてない」」『週刊朝日』第105巻(55) (通号 4415) 2000年12月15日号、朝日新聞出版、2000年12月15日、165頁。
- ^ 「イスラムvs.アメリカ」『EX大衆』通巻7号、双葉社、2006年、48頁。
- ^ 五島(2010)、pp.75-91.
- ^ 『ムー』2010年8月号、学研マーケティング、2010年8月、96-98頁。
- ^ 飛鳥&五島(2012)、pp.118-120 etc.
- ^ ASIOS&菊池&山津(2012)、p.85.
- ^ と学会(2012)、pp.22 f.
- ^ 『ムー』2010年8月号、学研マーケティング、2010年8月、96頁。
- ^ “祥伝社公式サイトの紹介”. 祥伝社. 2013年4月29日閲覧。
- ^ 「週刊文春」編集部. “「ノストラダムスの大予言」の著者・五島勉氏が90歳で死去していた”. 文春オンライン. 2020年7月21日閲覧。
- ^ 大槻ケンヂ [@officialoken] (2020年7月21日). "五島勉さん訃報" (ツイート). Twitterより2020年7月21日閲覧。
- ^ “遊山直奇Twitter”. Twitter. 2020年7月21日閲覧。
- ^ 1985年(昭和60年)に倒語社より『黒い春 米軍・パンパン・女たちの戦後』と改題されて復刻された。
- ^ 1945年(昭和20年)11月から翌1946年(昭和21年)3月27日に閉鎖されるまでの短い営業期間に最盛期で7万人の女性がいたという。
- ^ 前作『日本の貞操―外国兵に犯された女性たちの手記』は水野浩編。
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